禁じられた遊び 主は常に毬を手にしている。 その毬は時折変わり、新しい毬を見る度に私は溜息を吐く。 どこから持ってきたのですか 西の庭園にある、薔薇の茂みから その答えに、私は安堵に胸を撫で下ろし、急ぎ侍従をやって後始末を申しつけるのだ。 かく言う私も身分としては呼びつけた侍従と同格なのだが、畏れ多くも主君の乳兄弟という立場にある為こうして同僚に指示を出すこともしばしばである。 しかも主人の機嫌を損ねずにいられるのが私だけだから、私の言葉は私よりもずっとずっと格上の方々の言より優先される。 主人は気が短く成功失敗にかかわらず狭量であるため、些細なことで勘気を周囲にぶつけるのだが、私に対しては寛容であるのだ。 意を汲むことが出来るなどとは冗談でも口にはし難いのだが、まぁ、良いことではあるのだろう。 誰の言葉も聞き入れぬ暴君では、政が立ち行かぬ。 数多いる賢臣の方々からの注進をお伝えするのが私の重要な役目だ。 といって、主人が凡愚であると言うことは決してなかった。 幸か不幸か主はこの上なく英明な君主の片鱗を若くして垣間見せ、御父君たる現王の治世は安定し、国は数百年の安寧を約束されたも同然と臣民は確信し喜びの賛歌を口ずさむ。 ただ、年若い主人はどうしようもない悪癖と癇癪持ちというだけで。 なまじ優秀であるだけに、凡庸な者共の愚鈍が許せぬらしく苛々とされるのだ。 結果、短気な主は直ぐさまお命じになってしまう。 「首を刎ねろ」 冷たく言い捨てて露とも気にせず歩を進める主の背に追従しながら、私はまた嘆息する。 何かと首を刎ねるのは、主人の趣味でもあり娯楽でもある。 まだ年端もいかぬ幼き頃、例によって例の如く気に障った無調法者の処分をお命じになった。その哀れな用人は即座に極刑に処せられることに相成った。当然主がその処刑の場に立ち会う事はない。だがなんの因果かその日は歴史の教師が体調不良に陥ったため勉学に当てていた時間が空白になったのだ(この教師も後ほど首を刎ねられた) 滅多にない自由時間を手にした幼い主人は乳母にして護衛たる母と他数名の侍従を引き連れ城内の散策にでられ、その折たまたま処刑場となっていた兵の訓練場を訪れてしまった。 そこで見事にすぱんと跳んで転がった首の様子を目撃した幼い主人は、それが痛くお気に召されたのである。 以来主人はそれを毬と呼び称され、手元に置かれ本当に毬として玩具にしはじめた。 頭蓋の形が気に入ったものから、見目がよく眼に心地良いものまで、目の色が気に入ったとか、髪の色というのもあった。 気の向かれるままに身分の上下を問わずに首を落とし、その頭で遊ぶのだ。 その悪癖は今日になってもいっこうに収まる気配を見せず、三日と空けずに首が飛ぶ。 下々や王族の方々までならいざ知らず、相応の役職に就かれている者達まで月毎に首を刎ねられてしまっては統治に差し障りがあるのだが。 わかっている。 一番悪いのはきちんとお諫めできない私であることは。 唯一ご意見を差し上げても問題無く過ごせる私が毅然と申し上げなければならないことは。 しかし。 「愚王め!!私の夫を還せ!!」 ああ、またか。 赤い軌跡を画き、回廊の白亜の壁に美しい模様を作って胴体から見事にすぱんと切って離された首が飛んで行く。 大理石に敷かれた赤絨毯の上に落ちた頭部は本当に毬のように数度弾んでごろりと転がって、憤怒の形相をして固まったその貌を此方に向けて止まった。 今日は希に見る程、見事な放物線と飛距離だ。 すがすがしい達成感と充足感に満たされつつ剣を鞘に収めた私はまた様々な感情を込めて息を吐く。 仕方ないではないか。 幼い頃より母についてお育て申し上げた、凛々しくご立派に成長された大事な大事な主君を罵倒されて黙っていられるほど不忠でもなければ薄情でもないのだ。 おまけに天と地、月とすっぽんほども隔たりはあるが、一応正真正銘血の繋がった従兄弟君でもある。 なにを隠そう私の母は主からも祖母にあたる先の正妃たる御方が護衛として使えていた近従を閨に引き入れた結果生まれたいわゆる不義の子というやつである。といってもその頃にはとおに先々王は儚くおなりあそばしており、世間体は悪いが誰にせめられる言われもなかったのだが。 もともと先々代は男児に恵まれなかった為に、王家の傍流から迎え入れられた入り婿という立場であるわけであるからして、そうそう強く言える家臣もいなかった。 まぁ、そんな風になにかと問題だらけで危なかった祖母たる正妃様におかれましては、傍に侍らせるのは心身ともにそれ相応に信頼できる相手に限られ、てらいなく言うと皇后の情夫だった私の祖父は王家が古来より保持してきた暗殺集団の一員であった。 不義とも言えない不義の果てに生まれた母は、従来通り王家の血筋とは数えられずに薄暗い組織の一員として育てられた。 先例もあるように、私たちが所属する集団において王家の血が混じるというのは別段に珍しいことではない。 幼少時、生まれたときより使える王族に絶対服従を叩き込まれるわけであるから、それはもう主人達には好き勝手される。 それに逆らおうという気もおこらない。 結果、男女係わらずに態の良い玩具として扱われ、子供なぞぼろぼろと出来るは必然。 組織形態が整って数十年はそうして生まれた子も一応は私生児という扱いだが王族としていたが、世代を追うごとに増加の一途を辿る私生児に、らちがあかないと言うことで血の濃さ、親の身分にかかわらず組織の人間が片親ならば、組織のものとして育てるというふうに決定された。 そんな訳で、わが国の王家お抱え暗殺集団は過半数が血の濃度に差はあれ皆王の血筋といえば血筋だ。 ぶっちゃけて言えば、本家本元より血は濃いだろう。 しかし徹底された教育によって、反旗を翻そうなんて輩は皆無。 私自身もその一人だ。 望みは我が主君が日々健やかに幸福に過ごされること以外はない。 私は主人の忠実な従僕であり護衛であり家臣群との伝達役であり、処刑執行人である。 まあそんな訳で、護衛という意味合いも多大に含み、後ろ暗い集団のわりに私が所属する組織からはよく王家に対して乳母やらなんやらを排出する。 身分と立場は下賤であるし下層なのだが、血筋の良さはピカ一だ。公表はされないが、組織上部ではきちんと誰が誰の子であるか非公式の戸籍をつくり把握もしているから、折り紙付き。 そんな私たちは生まれながらに王家に忠誠をつくすという将来が決定されている。 物心ついて数年経った少年と言われる年齢辺りで母が主人の乳母になるまで、そんな組織で育った私がしてきたことと言えば暗殺の技を磨くか体力造りだ。 子供達の間で流行った遊びといえば、誰が一番早く標的を殺してこれるかとか、耐久だとか首のとばしっこだとか。ああ、すでに暗殺者として頻繁に活躍している先達には眼球収集を趣味にしている者達もいたが。 私が一番好きだった遊びは刎ねた首の飛距離を競うという遊びだった。 私だけでなく、組織のほとんど誰もが夢中になっていた。 強固な骨をモノともせずに一刀両断し尚かつ遠くまで飛ばすのだ。 技量が求められ教官達からも大いに推奨され、大人から子供まで大人気の伝統と格式ある由緒正しい競技にまでなっている。年に一度のこの大会が楽しみで楽しみで、何を隠そう私がここ数年来の優勝者だ。 罪人の処刑も我等組織の仕事とされていたので、たまに送られてくる罪人の取り合いなど常時。大人は自重するのは暗黙の了解であったので、成人前の者達が集まって今日は僕がやる、私がやりたいといつも大騒ぎになった。 首を刎ねる技量を磨くことこそが目的であるからして、落ちた頭部にさほど興味は払われないのだが、またまだそれほどに腕の力がなく自分では斬首が出来ない年少者達などは足下まで転がってきた首を憧れをもって先を競って拾い上げるのだ。ひろった生首を使って蹴鞠をして遊ぶというのも定石であった。人間の頭というのは中身がぎっしりと詰まってとても重いので、いい筋力造りにもなる。 同年の少年等の中には優しくも、己の弟妹の足下めがけて刎ねた首を飛ばしてやっていた者もいた。 兄、若しくは姉から首を贈られた幼児達のあの輝かしい笑顔! 私も密かに弟か妹が出来たら、どんなに遠くからでも飛ばしてやれる兄になろうと誓いを立て、日々腕に磨きを掛けるに努力を惜しまなかった。 しかし精進をかさねていたが、残念なことに私にその機会は巡ってこなかった。 念願の弟は出来たのだが、生まれて直ぐに流行病で失ってしまったのである。 酷く落胆し嘆きと哀しみに襲われた年であるが、喜ばしいことがあった年でもある。 元より時期が重なりちょうど良かろうと縁故故もあって母が乳母に選ばれていた御方が、医師の見立て通り、私の弟と同じ年、同じ月に無事お生まれになられたからだ。 遺憾ながら弟同様やはり主人も流行病を患ってしまったのだが、医師団の努力によって一命を取り留められた。 母は張らした乳のもう一つの、より重要な乳飲み子までは失わずにすんだのである。 弟を失ったことは酷く残念だが、使える主人が無事だった喜びはとても大きなことだった。 当時も今も思うが、僥倖でもなく、神の御意志というものであろう。 主人の変わりに弟が召されたのだと思えば大変栄誉であると思え慰められる。 ああ、失礼。 話が脱線してしまった。 とにかく粉骨砕身して夢中になったのがいけなかったのか、この年になっても主人と同じくまだまだ童心を捨てられぬ私は今でもこの首刎ね遊びが大好きだ。 主人の不興を買った輩の処分も仕事にかこつけ、私が一手に引き受け遊んでしまってもいる。 実は主人が一番最初に目撃した斬首の執行人も私であった。 当時私は成人をあと数年に控えるまでの年齢に達していたが、私も幼年の主人が勉学中に勉学に励んでいた。暗殺者兼護衛としては充分であったが、如何せん時期国王陛下の家臣としての裁量はといえばまだまだ。 従僕や側近としての心構えだとか礼儀作法だとか基本中の基本から始まり、様々な場面において細にわたる着付け様式だとか、典令などは覚えなければいけない事は数多い。また、親政ともなれば傍近くに控えて騎士諸侯と同じ宮廷流の剣を使わなければならない。 型を一見し数度さらえば見苦しくない程度には真似できたので(咄嗟となれば別だが)、その日の私は練兵場にて騎士達に混じり軍の儀礼等を習っていた。 そこに幼い主が刑罰を与えるようおっしゃった咎人が引き出されてきたのだが、一般の兵達は大した罪もない人間を処刑するのを誰もが嫌がった。 忌避する「まとも」に育ってきた善良なる人々にかわり、私は嬉々として処刑を引き受けた。 其処へちょうど訓練に勤しむ私を激励にと散策の途中に主人が訪れてくださったのだ。普段お側にいられぬ時刻に姿をみた嬉しさもあり、私はつい咄嗟に傍輩がしていたようにその足下めがけ首を飛ばし「遊びますか、殿下」と言ってしまった。 これは完全に私の失敗だろう。 私の咎だ。 粛々と世間の皆々様に対してお詫びを申し上げる。 勉学づくしで童子らしい遊びをしたことのない殿下を悪の道に唆かしてしまったのは私であるのだ。 遊びに誘われた事のない殿下は、私も母も弟もそうなのだが、我が国の王族特有の深く濃いインペリアル・ブルーの眼を輝かせ頷かれて爪先の数センチ手前で停止した頭を蹴られた。私もまたそれを足裏で受け止め、空中へと大きく蹴り上げて主人にもう一度届けた。 これにより、主人にとって首は毬となってしまったのだ。 今もまた私が刎ねた首を見やり、踵をとんとんと弾ませて蹴りたそうにしていらっしゃる。 「よく飛んだな」 「女性の細首ですから、少々物足りませんが」 「では馬番の首でも刎ねるか。あれはぶよぶよと肉がついて切りにくそうだぞ」 「腕が良いと誉めておられましたが」 「かまわん。先日鐙の位置がずれていた」 「さようですか」 私とは少し異なる髪質だが、母と同じ、いなくなった弟とはまったく同じ金髪が翻るのを目で追い、私は我知らず相好を崩す。 なぜなら私の愛するものであるから。 蛇足だが、生きていれば弟は主人の影となることが決まっていた。 もちろん生別が同じであることが前提で。 祖母が同じで血が近いだけでなく、父親も同じであるのでよく似るだろうと推測されたからだ。 失った弟と主人は同年の異母兄弟という関係になるのは公然と秘密というものだ。 僭越ながら、私もまた主人とは異母兄弟という間柄に位置づけられる。 父とは呼べぬし到底思えもしないが、現王陛下は係累で言えば私の父だ。 しかし陛下は陛下であり、主人は主人であり、家族ではない。 これは確固たる頽れることの無い事実である。 私の家族は母ともうない弟だ。 しかし心優しい国王陛下は情けを掛けられた母に更なる温情を掛けて下さり、これより育てる事となった主人の幼名を失った子の代わりに名付けるがいいとおっしゃって下さった。 我が子同然に育てよと。 陛下はご存じなかったのであろうが、元より影となる筈だった弟には弟個人の名はつけられず、主人と同じ名で呼ばれるはずだったのであるが。しかし私が密かに弟の名前を考えていたのを知っていた母は、その名前を主人の幼名としてくれた。 私は僭越ながら、主人の名付け親にもあたるのだ。 気恥ずかしくも、とても嬉しいことだ。 主人は既に成人を迎え幼名では呼ばれることはなくなった。 しかし未だに私には幼名で呼ぶようにとお命じになられたので、私は今も私が考え、母が許してくれた弟の名前で主人を呼んでいる。 「いくぞ、エラルド」 「はい、エトアルト様」 私の主人の名はエトアルト。 私が失った弟の名前はエトアルト。 私の主人の瞳は私と同じ、王家固有の空よりも深く鮮やかな、海よりも澄んだインペリアル・ブルー。 私の失った弟の瞳は私と同じ、王家固有の空よりも深く鮮やかな、海よりも澄んだインペリアル・ブルー。 私の主人の髪は私の母と同じで、王家がよく輩出する光り輝く黄金を飴細工のように溶かして伸ばした長い長い柔らかな巻き毛。 私の失った弟の髪は私の母と同じで、王家がよく輩出する光り輝く黄金を飴細工のように溶かして伸ばした柔らかな巻き毛。 病を患われる前の主人の瞳は、国外から嫁がれたご正妃と同じ美しいエメラルドだったなんていう流言、私は知らない。 死んで直ぐ病がこれ以上拡がらぬようにと焼却された弟の遺骸が、産褥でお亡くなりになられたご正妃様の雪のような白銀の御髪と同じだったなんて世迷い言。 可哀想に、法螺吹きの産婆も女官も医師も死骸を焼いた傍輩も、流行病にやられて幻覚を見ていたのだ。 その後すぐに皆揃って同じ時期に同じ病状をさらして死んでしまったのだから。 産褥で死んだ正妃さまを哀れまれたのか、この年は正妃様の命日を皮切りに病は蔓延し多くの者が亡くなった。 哀しい年、喜ばしい年。 弟を失って、主人を得た。 「妃の具合が悪いそうだ。お前が相手をしろ」 「私でよろしいのですか」 「お前がいい、エラルド。お前を抱いている時が、お前の匂いを嗅いでいる時が一番安心する」 「光栄です」 私は主人の忠実なる従僕であり護衛でありと家臣方との伝令であり処刑人であり、閨で主人を喜ばせるのが仕事の情人である。 今では一日中主人について回る私にプライベートは皆無であり、仕事一色に染められているが、とてもとても充実して幸福な日々を過ごしている。 唯一の家族たる母とは同じ職場であるので毎日顔をあわせられるのだから、問題もない。 私の愛する家族は母だけで、弟は無い。 失ってしまったから。 いるのは弟と同じエトアルトという名の大切な大切な愛する主君一人である。 私の失った弟の髪は私の母と同じで、王家がよく輩出する光り輝く黄金を飴細工のように溶かして伸ばした柔らかな巻き毛。 私の主人の髪は私の母と同じで、王家がよく輩出する光り輝く黄金を飴細工のように溶かして伸ばした長い長い柔らかな巻き毛。 私の失った弟の瞳は私と同じ、王家固有の空よりも深く鮮やかな、海よりも澄んだインペリアル・ブルー。 私の主人の瞳は私と同じ、王家固有の空よりも深く鮮やかな、海よりも澄んだインペリアル・ブルー。 私が失った弟の名前はエトアルト。 私の主人の名は、エトアルト。 エトアルトとは、「エラルドの愛する者」の意である。 |